時のログ

モノクロ写真時々独り言、文字は心をあらわす、今思った事を素直に書こう!

断捨離が出来ないって卑しい心の持ち主か?

あとで読む

スポンサーリンク

おはようございます。サイト管理者のふぇいやんです。今年も後1週間を切ったわけですが、身の回りの要らない物を整理しようと全開の週末に実行しました。

 

最近流行りの断捨離の実行だぁ〜って言う気持ちで始めたんですが。いざ始めてみると・・・

 

f:id:sek-loso0228:20171225052251j:plain

 

俺の部屋にある物を一つづつ確認しながら整理を行ったのですが、この確認と言う行為が実際には良くないようですね。

 

そもそも俺は断捨離を実行しようとしたんです。断捨離の意味をもう一度確認してみると

断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、

  • 断:入ってくるいらない物を断つ。
  • 捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
  • 離:物への執着から離れる。

として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。ヨーガの行法が元になっている為、単なる片付けとは一線を引く。

 

「日本では伝統的に「もったいない」という観念・考え方があるが(これはこれでひとつの考え方・価値観ではあるが)、この考え方が行き過ぎると物を捨てることができなくなり、やがてすでに使わなくなったモノ・将来も使うはずがないモノなどが家・部屋の中に次第に増えてゆき、やがては自分が快適に居るための空間までが圧迫され、狭くなり、また人は膨大なモノを扱うのに日々 膨大な時間や気力を奪われるようになってしまい、知らず知らずのうちに大きな重荷となっていて心身の健康を害するほどになってしまう。」

断捨離 - Wikipedia

 

説明の後半にある「もったいない」と言う観念、ここが大きなポイント。そしてもう一つが、折角購入したんだからいつか使うだろうと言う思い。

 

これが一番大きいんじゃないかな。

 

いつか使う、そういつか。じゃあいつかっていつだよって自問すると答えられない。結局無駄と分かっていても捨てられないでいるだけ。

 

捨てることによって、自分と周りへの罪悪感が発生するので捨てられなくなる。でも周囲の人は本当にそう思っているのかと言うと、たぶん違うだろう。

 

自分だけも思い込みってやつだねたぶん。

 

こんな思いが交差するんで、ハッキリ言って断捨離が何も進まない。

 

 

自分の事ながら、いい歳こいて情けない。

 

f:id:sek-loso0228:20171225053604j:plain

 

なんで捨てられないんだろう。

 

バンバン捨てなきゃって・・・でも古い考えなのか、世の中のすべてのものには霊が宿るって信じてる。実家が工務店であったことも関係しているのか、庭の石にも心があると教え込まれた。

 

庭の石をどかす、木の位置を変える、杭を打つ、全て地の神様の了解を得ないとやってはいけないこと。そう教えられたんだよ。

 

そんなことも有り、くどいようだが全く進まない。

 

捨てると言う気持ちに対し、いつか使えるんだからと言う卑しいにちかいような気持ちが打ち勝っていること自体なんとなく落ち込む。

 

そこで思った。世の中考えようで、自分がいつか使わなくても誰かが使ってくれたら、その物も喜ぶんじゃないかと言う考え。

 

そして行き着いた答えがリサイクルって事だ。

 

売るというより、誰かが使ってくれたらこの物も喜ぶだろう。捨てるにも廃棄費用がかかるので、リサイクルショップで引き取ってもらうことにした。

 

そうすれば自分は誰かにつかってもらおうと提供したが、リサイクルショップで使えないとして判断し廃棄した場合は、俺が判断したのではなくリサイクルショップが判断したと言う都合の良い考え

 

そうすればもったいないとか、廃棄したと言う負い目は追わなくて済む。ずるい考えかも知れないが、とりあえず心が軽くなるんでそれで良しとした。

 

というわけで、使えそうな物をリサイクルショップに持っていったりして少しは片付いたが、雑誌系が未だ残っているのでこちらこそ断捨離でバンバン捨て部屋を広くしたいと思う。

 

毎年年末に成るとこんなつまらないことで頭を悩ます自分が情けない。

 

来年はこんなことにならないように、直ぐに物は捨てようって思うが、そうならないんだよね。

 

トホホの休みをおくったと言う話でした。

 

 

おしまい。